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執筆者の写真山村 一颯

柔道と出会った話




僕と「柔道」



僕が柔道をはじめたきっかけは、僕の父になります。


僕の父は、高校と大学で柔道をしており、「背負い投げ」が得意でした。


学生時代は、東京でも3位になったりと活躍していたみたいです。


そんな父に憧れ、柔道を始めました。



柔道をはじめた。


はじめた当時は、小学校2年生になったばかり。


ただ、


「強くなりたい!」


そう思って始めました。

小さな頃から体を動かすのが好きだったので、最初は遊びのような感覚で「前転や後転」などの基礎練習を楽しんでいました。


だんだん慣れてくると、高度な技や武道の考え方、礼儀作法を学んでいきました。



柔道の試験


半年に1回、昇給するための試験がありました。


学年別で分かれて試合を行い、勝った数や稽古に参加している日数などを考慮し、先生方が、昇給させたりさせなかったり。


それによって、帯の色が決まります。


最初は、白から始まり。


次に、オレンジ、紫、緑などなど。


だんだんと歳を重ね、経験を積み、強くなるごとに帯の色が変わっていきました。



黒帯になる

初段(=黒帯(くろおび))になるためには、昇段審査(しょうだんしんさ)というものがあります。


中学2年でこの試験を受け始めましたが、自分の倍以上もある高校生と対戦したり、「筆記」や「形(かた)」の試験があったりと、いろいろと苦労はしました。


そして、ついに「初段(しょだん)」を獲得しました。


なぜか帯の色が変わるだけで、強くなった気がしました。


柔道の「形(かた)」とは?


僕はどちらかというと、「競技」よりも、「形(かた)」と呼ばれる競技が得意でした。


「競技」では、飛騨の地区大会でたまに準優勝・優勝はできたものの、県大会では、2回戦負け程度でした。


一方、「形」では、県大会で2年連続準優勝したりと意外と結果は残したと思います。

(優勝できなかったことは未だに悔いがありますが…)


さらに、飛騨地区(僕の地元)はレベルが高く、女子・男子ともに県大会を優勝・準優勝を毎年獲得していました。


私の分析だと、「形(かた)」は、「競技」に比べると挑戦する人が少なく、地元にいる先生方のレベルが非常に高かったことが勝因だと考えています。

少し深掘りますが、これは社会でも同じような気がします。


孫子の兵法には、「勝ちたければ、相手が少なく、自分が勝ちやすい条件のなかで戦いなさい。」という教えがあります。まさに、それを実感できた経験でした。

まとめ


柔道というスポーツは、子どもの成長する上で大切なことが学べるため、「武道を子どもに教えたい」という親も増えてきているらしいです。


実際に、僕の恩師であるフランス人起業家も「子どもには武道を習わせたい」と言っていました。私も子供ができたら触れてみてほしいスポーツであり、教育の1つと考えています。

最後に


私は、柔道は8年間続け、初段を取り、中学を卒業するタイミングで、柔道キャリアを終えました。


また、稽古に参加したり、柔道から学ぶことはたくさんあったので、子どもに教えられたりすればいいなと思っています。


そして、恩師の先生方には感謝しています。


当時の僕からすれば、とてもかっこいい存在で、体や精神が強く、考え方まで武士でした。


今でも憧れの存在です。

当時は、苦しくて逃げ出したい時。


相手に勝てないと感じた時。


自分に負けそうになった時。

今でもあの頃の記憶が僕を助けてくれます。


そして、挑戦させてくれます。

「負けるな。自分に。」

そんなんですよね。


本当の敵は、自分なんです。

あの頃から、自分がライバルになりました。


昨日の自分を1ミリでもいいから、越える。

そう意識すれば、自然と成長します。


自然と他人が気にならなくなり、自分の芯で生きられます。

柔道とは、僕の人生の基盤となる体験でした。


そして、それは今も私の中で生き続けているのを感じています。



以上です。


ご精読いただき、ありがとうございました。


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